養神館合気道

塩田剛三先生

画像:塩田剛三先生

 養神館合気道は、昭和31年、塩田剛三先生によって立ち上げられました。


塩田剛三先生は旧制中学校5年の時には、すでに講道館柔道三段位を取得。18歳の時、校長の誘いで植芝道場を見学をすることになり、植芝開祖に手合わせを挑み一瞬で投げ飛ばされ、即日入門を決意したと言われています。入門後は合気道一筋に修行を積まれ、戦後行なわれた「日本総合古武道大会」最優秀賞を受賞され、このことが合気道が社会的に普及するきっかけになったとされます。

 

養神館にロバート・ケネディーご夫妻が来館された時のこと、同行していたボディーガードと手合せをし、後にケネディは著書の中で「私のボディーガードがその小柄な先生に立ち向かっていったところ、まるで蜘蛛がピンで張り付けられたように、苦もなく取り押さえられた」と記しているなど、エピソードにこと欠かず、「不世出の達人」「生ける伝説」とも謳われました。

 

平成6年7月、薬石効なく他界されました。

 

養神館合気道の特徴

養神館では、独自の「構え」や「基本動作」を導入しています。「構え」は、自分が強い体勢である正しい姿勢を取得し、「基本動作」は動きの中でも崩れず、無理なく合理的に相手に強い力を及ぼすための動作を稽古するためにまとめられたものです。

初心者ばかりではなく、高段者も常に基本に立ち返るための稽古法として重要視され、またひとりでも、相対でも行なえるため、優れた稽古方法として評価されています。

 

また警視庁の婦人警官や要人警護SPが学ぶ科目として採用されていることなどから、実戦性の高い合気道と言われています。

 

 

精晟会

寺田精之先生

画像:寺田精之先生

寺田精之先生は、塩田剛三先生の大学の後輩に当たり、塩田先生と共に養神館合気道の設立と発展にご尽力されてきました。養神館本部道場師範を務められた後、地元の横浜市を中心に、警視庁、企業、大学、地方はもちろん海外各国でもご指導されました。

 

養神館最高師範を歴任後、養神館最高顧問、横浜市合気道連盟名誉会長としてご指導されました。平成20年には最高段位である十段を贈られ、また、長年のご功労に対し養神館より感謝状を贈呈されました。
寺田先生は柔道や相撲など、他の武道にも造詣が深く、技の中にはその影響を伺えるものもあり、精晟会の技はバラエティに富んでいるため、時折、「寺田先生チックな技」と評されることもあります。


平成21年7月13日御逝去。先生の通夜、告別式には全国の弟子数百人が駆けつけ、世界中からも多くの弔電が寄せられました。寺田先生の撒かれた種は、今、大きな樹となって世界中に広がっています。

 

 

 

精晟会について

寺田先生にご指導を受けた高弟の方々が中心となり、精晟会を設立。指導者研修会や合宿を行っています。

 

精晟会の各道場は寺田先生の理念を受け継き、合気道の発展と普及のために活動しており、国内では神奈川県を中心に埼玉県や大阪府、さらに3つの大学の合気道部が所属しています。

また、ロシアやポーランドにはアソシエイト道場があり、交流が盛んです。